子の監護に関する陳述書-自分

私からも子供の『監護者指定の調停申し立て』をした。

調停が始まって2回目ぐらいで、親権争いの為、私の方からも『監護者指定の調停申し立て』をしました。

正直、親権や監護権を取れると思ってやったわけではないです。

というのも

精神的に不安定な元奥さんなんですが、弁護士が着いてからメンタルクリニックに行き『パニック障害』のような診断書をもらってきていました。

そして、それを理由にして私と顔を合わせることになる子供との面会の回数を減らそう減らそうとしてきました。

でもその精神の不安定さは私がまさに心配してる所でした。
彼女の精神的な不安定は、今に始まったわけじゃなく、結婚前というより、恋愛前からのことでしたから。先天的なものだと思われます。
同居中も散々それに疲弊しましたから(^_^;)。
常に腫れ物に触るような感じでした。

そんな彼女の側にいてる子供がよけい心配ですから、今回の『監護者指定の調停申し立て』をしました。
子供の監護には、心身の健康状態も問われますから。

結果これが良い方に転がったようにも思います。
それはまたこのページの最後に書きますね。

そして子の監護に関する陳述書も提出しました。

実際に提出した 『子の監護に関する陳述書』

子の監護に関する陳述書TOP_R

 

正直、私の当時の経済状況など恥ずかしい内容です(^_^;)。

以下、私が提出した『子の監護に関する陳述書』本文です。
見やすいようにテキスト化しています。

また子供や元奥さんの名前、また場所など一部の固有名詞は、〇〇や代名詞などに変換しています。
例えば[子供][元奥さん][元々夫婦で住んでいた県]といった形で。

(ここから本文)

1.生活状況

(1)生活歴
平成〇〇年〇〇月 〇〇学校 卒業
平成〇〇年〇〇月 〇〇株式会社 入社
平成〇〇年〇〇月 〇〇株式会社 退社
平成〇〇年〇〇月 株式会社〇〇 入社
平成〇〇年〇〇月 株式会社〇〇 退社
平成〇〇年〇〇月 〇〇株式会社 入社
平成〇〇年〇〇月 〇〇株式会社 退社

平成〇〇年〇〇月~平成〇〇年〇〇月
カナダに留学
平成平成〇〇年〇〇月~平成〇〇年〇〇月
父が余命2ヶ月と宣告されたためカナダより帰国し、父の病院に泊まったり、甘いもの好きな父にプリンを作って食べさせてあげたり、また最後の方は自宅に連れて帰ったりオシメを替えたりと、父が亡くなるまでの間せめてもの恩返しにとお世話をしていました。
そして、亡くなった時の葬式も○男の私が喪主をすることになり、その後の片付けや整理をしてました。

平成〇〇年〇〇月 〇〇株式会社 入社
平成〇〇年〇〇月 〇〇株式会社 スーパーバイザーとして転属
平成〇〇年〇〇月 〇〇株式会社 営業所の目標成績を達成し退社

平成〇〇年〇〇月 有限会社〇〇 営業取締役として入社(〇〇県)
平成〇〇年〇〇月 有限会社〇〇 退社するが、営業代理店として継続
平成〇〇年〇〇月 〇〇株式会社 入社(〇〇県)
平成〇〇年〇〇月 〇〇株式会社 退社

平成〇〇年〇〇月 WEBの仕事を始める

平成25年〇〇月 〇〇県で[元奥さん]と同居生活開始

平成〇〇年〇〇月 〇〇入社(〇〇県)
平成〇〇年〇〇月 〇〇退社

平成〇〇年〇〇月〇〇日 [元奥さん]が[子供]を出産

平成28年〇〇月〇〇日 [元奥さん]が[子供]を連れ〇〇県の実家に。

平成29年〇〇月   〇〇県のアパートで[元奥さん]・[子供]・私の3人でやり直すことに。
平成29年〇〇月〇〇日 再び[元奥さん]が[子供]を連れ実家に。

(2)現在の職業の状況
自営でWEBの仕事を行う
主に自宅でPCによる作業で決まった時間的拘束はありません。

(3)経済状況
[収入]
①WEB制作 8~12万円
ーーーーーーーーーーーーーー
月額 8万円~12万円
年間 120万円

[支出]
家賃 36,000円
水道光熱費 15,000円
食費 25,000円
携帯代 2,000円
保険代 10,000円
ーーーーーーーーーー
合計 88,000円

(4)健康状態
良好

(5)同居者
なし

(6)居住の状況
・間取り 3DK(提出資料間取り図の通り)
① の部屋は子供の部屋に利用予定。
② はリビング
③ は仕事部屋

・周辺環境
マンションの目の前に[子供]が大好きなすべり台メインの公園があります。
また車で15分位のところに〇〇公園があり、無料で本格的なアスレチックもでき、いろんな遊具もありますが、すべり台だけでも6種類あります。

他には車で5分位のところに、〇〇モールがあるので、そこで一緒にお買い物や、
中に『キッズ〇〇ランド』という施設があります。
有料ですが、1日800円ぐらいで雨の日でも遊べます。

2 子供の状況
(1)生活歴
平成〇〇年〇〇月〇〇日 [元奥さん]の実家のある〇〇市で出産。
(出産立会と3月に[元奥さんの実家の県]まで会いに行く)
平成〇〇年〇〇月 [元々夫婦で住んでいた県]のアパートで[元奥さん]・[子供]・私の3人で生活開始。
平成28年〇〇月〇〇日 [元奥さん]と[元奥さんの実家の県]の実家へ
(12月1回と年末年始、そして2月の北海道旅行は3人一緒に)
平成29年〇〇月 〇〇市のアパートにて[元奥さん]・[子供]・私の3人で生活再開
平成29年〇〇月 〇〇保育園 入園
平成29年〇〇月〇〇日 [元奥さん]と[元奥さん]の実家へ
平成29年〇〇月 〇〇保育園 退園

(2)監護状況
ア 出生~別居まで
[元々夫婦で住んでいた県]で3人で暮らした当初は授乳はもちろん[元奥さん]で、寝かしつけやオムツ替え、入浴は基本2人でやっていました。
検診や病院の受信も2人で行っていた。
爪切りは[元奥さん]が苦手だったので私がやっていました。

ただ当時、[元奥さん]が言うぐらい[子供]はお父さん子になっていて、[元奥さん]が寝かしつけれない時やグズった[子供]をあやし切れない時は私が変わって寝かしつけやあやしたりすることがよくありました。
私も『たまたま、たまたま』とか『今だけ今だけ』といって彼女をフォローしていました。
しかしそんな時、[元奥さん]があやしても泣き止まなかった[子供]が私に変わるとすぐ泣きやんだのを見て、[元奥さん]が『私いらんやん!』と言って、[子供]をおいて一人でしばらく出ていってしまったことがありました。
この時、[元奥さん]も母乳あげたり接触時間が長いはずやのに私に懐いてるみたいで、母親として辛かったんやろな~と、[元奥さん]のことを思い『もっと彼女にも懐くようにせんと』と、私は[子供]の相手や世話からちょっと身を引くようにしました。
といっても検診や病院の受信、お風呂は変わらず2人でしていました。

また保育園は[元奥さん]が送り、私が迎えに行き、行事は2人で参加していました。

イ 別居~現在
[子供]は[元奥さん]と彼女の実家で同居。
私は調停が始まるまでは週に2~3回程度、調停が始まってからは月に2回[子供]と面会して昼ごはんを作ってあげたり公園に行ったり家の中のジャングルジムなどのおもちゃで一緒に遊んでいます。

(3)1日の生活スケジュール
[元奥さん]方にいてるので不明

(4)心身の発育状況、健康状態及び性格

ア. 病歴
病気というほどではないかもしれないが、[子供]は皮膚が弱いので、病院で保湿クリームや、肌荒れがひどい時ように少しステロイドが入った塗り薬をもらったいた。
塗るのは主に[元奥さん]がやっていました。

アレルギー検査では卵に少し反応があるようでしたが、実際に卵を食べてもこれといったアレルギー反応はなかったです。

また耳の下に5mmほどの苺状血管腫があったが、1歳辺りから薄くなってきて、今ではほとんど分からなくなりました。

予防接種に関しては、私が同居してるまでの分はすべて接種済みです。

あと保育園に通いだしてから、風邪をもらったようで高熱を繰り返したり、またRSウィルスも貰い何度も[元奥さん]と私で病院に連れていきました。
ちなみにこの時も室温に関して、『暑くする必要はないけど、熱あるときぐらいほんのり温かくしてあげた方が体は楽なんちゃう?』と言う私と、常に涼しくしようとする[元奥さん]で意見が合わずでした。
もちろん子供は体温が高いので普段は涼しめでいいとか、熱があがってる時は温かくして熱が下がりだしたら涼しくしてあげるというのはあると思いますが、[元奥さん]の場合は室温23度でも暑いといい常に涼しくする状態でした。
どっちが良いのかは分かりませんがそういう食い違いはありました。

そして[子供]の体調が悪く保育園を休ませた時は、主に私が自宅で[子供]を看ていました。
その時、部屋をほんのり温かくしてあげてソファー上で前抱っこで包むようにしてあげるとすごい気持ちよさそうに寝てました。そして[子供]も元気になって活発に動き出したりもしてました。私が『風邪やねんからもうちょい寝ときや~』と言いながらも。

イ. 発育、発達、性格
生後4ヶ月ほどで首が座り、6~7ヶ月辺りから腰すわりしだして、10ヶ月ぐらいから歩き出すようになりました。

言葉は1歳2ヶ月辺りから1語2語程度言うようになり、今は『パパ』『ママ』はもちろん、どんどん覚えていってるようです。

性格は、明るくよく笑い。また心配になるくらい人見知りしないです。
[元奥さん]も言ってますが、人見知りのなさは私に似たようです。
といっても、人見知りのする時期もくると思います。

(5)現在の通園状況
現在は通園していません。

(6)父母の紛争に対する認識
私から子供には『ごめんね』くらいしか言ってません。

前の面会時に[子供]の昼ごはんを作ってる時に、横で[子供]が『パーパ、マーマ。パーパ、マーマ。』と連呼しているのを聞いて胸が苦しかった。[子供]は親2人に揃っていて欲しいのかと思い、[子供]に申し訳く思っています。
以前同居中も公園で私と[元奥さん]が別方向に言った時、間で[子供]が『どっち行ったら良いの~?』て感じで困った顔で私と[元奥さん]の方をキョロキョロしていたので、それを見て私が[子供]を抱っこして『ママんとこ行こ~』といって[元奥さん]のとこに行ったことがありましが、困り顔させてしまって[子供]に申し訳ないという思いと、やさしい子やな~と感じました。

今も私と[元奥さん]が一緒にいれないことをなんとなく分かってるのかと思います。

(7)別居後の面会状況
平成29年〇〇月の別居から9月の調停までは週に2~3回程度、調停後は月に2回自宅で昼ごはん作ってあげたり公園に行ったりで面会しています。
面会時は[元奥さん]は立ち会っていません。
調停後面会頻度が減ってからは、慣れの問題だと思いますが、最初大泣きしたりするようになって、そんな[子供]がかわいそうで胸が苦しかったです。
すぐに泣き止んで、いつもの笑顔には戻るのですが。

3.監護補助者

[元奥さん]のお母さんだと思います。

4.監護計画
(1)親権者となった場合の具体的な監護計画
現住居に子を引き取り監護していきます。
『監護者指定調停申立書に関する意見書』を見てもらえば分かりますが、[子供]の食事・寝かしつけ・おむつ交換・爪切り・お風呂などお世話に関することも問題ありません。どちらかというとよろこんでやります。
また[子供]を監護する場合、仕事面に関しては今のWEBの仕事だけでも子ども手当などを合わせるとなんとか生活できますが、プラスの仕事として2パターンを考えています。

パターン①
以前のように〇〇の営業職につく。
えらそうに言うわけではありませんが、私は〇〇系営業の『実績』があるので、その職にはつきやすいです。
実際、[元々夫婦で住んでいた県]での営業も顔パスで働くことになりました。

今回は〇〇市の[某営業会社]での仕事です。
既に先方とは話しているのですが、業務請負と言うかたちで入ります。
この場合、営業の仕事の間は[子供]を保育園にあずけることになります。

パターン②
同じ[某営業会社]での業務請負だが、営業ではなく集合住宅居住者への日程調整のアポイント取りのみにする。このアポ取りは私が今までやってきた営業のごく一部分なので気楽にできます。
この場合は、朝夕2時間程度で週に3~5日稼働して、月に10万円程度になります。

これだと[子供]を保育園に預けずに散歩がてらにおぶってアポ取りできます。
もちろん[子供]を連れてくことで、途中オムツ替えやグズったりでペースなどの時間的なデメリットはありますが、逆にメリットもあります。営業自体もそうですが、アポ取りなんかはお客さんといかにコミュニケーションを取るかなので、[子供]を連れてることの会話がなごみ系のコニュニケーションになります。特にファミリーの集合住宅物件は。
私の営業スタイルにも合っています。
子連れアポインターってとこです。
[子供]を利用するわけじゃないですが、メリットとデメリットで言うとメリットの方が大きいです。
[子供]にも『いつもお手伝いありがとうやで』と声をかけて、なにか活躍するとちょっとしたご褒美をあげたりしながら。
[子供]がお手伝い(仕事)することによる報酬や達成感の教育にも繋がるように。

パターン①と②で言うと、まだ[子供]は小さいので、より一緒にいてあげられるように最初はパターン②でいく予定です。

元々先方はこのアポインターで募集していたのですが、私の経歴を伝えると営業もして欲しいと言ってるのですが、[子供]のこと優先で考えてます。

ちなみに私が関東でやってきた〇〇の営業方法を[元奥さんの実家の県]では今からやろうという段階なので、私がやっていた営業のノウハウを伝えて、それを取り入れてくれてる状態です。

といっても[子供]とより多くの時間を過ごせるように、最終的には自営のWEBの仕事だけで十二分な生活を送れるように早く形作りたいと思います。
ちなみにWEBの仕事は労働収入ではないので、構築済みのものは、言い方は悪いですが何もしなくても、ある程度の売上が上がってきます。
ですので、[子供]を20時に寝かしたあと3~4時間作業すれば十分な作業量になります。

(2)親権者となった場合、親権者でない親の面会交流について
私の考えのベースは、[子供]が成長するにあたって、両親が揃って仲良くしてるのがベストだと思いますが、そんな環境で育つのが無理になってしまい申し訳なく思っています。
でも本来もらえるべき両親の愛情2人分にできるだけ近い状態で育ってほしいという思いがあります。

ですので、面会交流に関しても制限なんてなくてもお互いの都合が会えば、いつでも会っていいという気持ちです。

[子供]が少し大きくなった時『ちょっとママんとこ行ってくる』何て言っても、『おう!行ってらっしゃい!』なんて見送ったり、『なんやったら近くまで送ってくで』て感じで[子供]が自由に両親の愛情を受けられるような環境にしてあげたいです。

これはむずかしかもしれませんが、バーベキューなんかを元夫婦まじえ仲間うちで一緒にしたり、大らかな感じでできれば良いのですが。

面会の制限はイコール[子供]の気持ちに制限をかけてるようなものなので。
私も[元奥さん]と生活してる時は、心も削られ体調も壊したりと辛かったですが、そんな自分ごとは二の次です。そんなのは[子供]の笑顔の前では塵に等しいです。

といっても制限をかけないことが逆に[子供]のためにならないというのであれば、相談や調整しながら、ある程度の制限は考えますが、気持ち面で制限はしたくありません。言い換えれば[子供]の気持ちに制限をかけたくありません。

5.その他
[元奥さん]のことをわるく言うつもりはありませんが、[元奥さん]が監護する際に心配なことがあります。
私が一番心配してるのは、彼女の精神的に不安定なところです。
それで[子供]に事故ともいいがたい、怪我に及んだことがあります。
私が目の当たりにしたものだけで3回ありました。
1回目は2016年の7月か8月ぐらいだったと思います。
[元奥さん]が家事をする為に、[子供]をおとなしく座らせようとベビーチェアに座らせたのですが、そのベビーチェアをさらにバウンサーの上に乗せたとのことで、結構高く不安定な位置に座ることになっていたようでした。
その時、[子供]が床のおもちゃを取ろうとして、頭から落ちてしまいました。

私は奥の部屋で仕事をしていたのですが、すごい鳴き声だったので、ビックリしてリビングに行きました。

ベビーチェア写真。
普通はこういう状態で使います。
別添1-1

それが、このようにバウンサーの上に乗せた状態にしたようです。
別添1-2

なぜ[元奥さん]がこんな高く不安定な状態で座らせ待たせたのか分かりませんが、この状態は危ないということが想像できなかったようです。

2回目は、2016年9月〇〇日10時頃
私は朝まで仕事をしていたので部屋で寝ていたのですが、彼女がすごい暗い感じで『散歩に行ってくる』と言って部屋を出ました。

間もなくすると[子供]の悲鳴のような鳴き声が聞こえたので、飛び起きて玄関に行きました。
聞くと彼女は[子供]を玄関フロアに寝かしてベビーカーを外に出しにいってたらしく、[子供]が外の[元奥さん]の方に向かってハイハイをして、そのまま[子供]は玄関下のコンクリートに落ちてしまいました。

彼女は、動揺しながら『サンダルの上に落ちた』など言ってましたが、サンダルの上でもなく玄関のコンクリートはザラザラだったのですが、[子供]の顔にはそのコンクリートで擦れたあとが残っていました。
動揺してる彼女を指摘しても精神的不安定が悪化するだけなので、彼女をフォローするように、『[子供]ちゃん初めての怪我やな』『怪我記念日やな』とか言って彼女をなだめようとしました。

また私が『病院行った方がいいんちゃう?』と言っても、彼女は『大丈夫と思う』と言うので、結局病院には行かなかったです。
その時の写真。
別添2-1
おでこも少し陥没してしまいました。
別添2-2

ハイハイしだした子供を段差のある上に置いて離れるなんて危ないと感じると思うのですが、そういうのに考えが及ばないところがあります。
事故と言うには、あまりに親の不注意(過失)要素が大きいように感じます。

なにより、彼女はそれまで『赤ちゃんの頭は、骨が重なりあってて、打ったりしたら良くないから、頭打たんように気を付けよな』と私にも言ってきてたのに、この怪我を境に急に『子供は頭を打つもの』と言い、手のひらを返したように真逆のことを言うようになりました。

確かに子供は頭は打つものですが、そんなに豹変しなくても、『今度から気をつけよな』でいいのではと思いましたが、『監護者指定調停申立書に関する意見書』にかいたように ここでも彼女の『私のやったことは間違ってない』と言う思考が働いたのかもしれません。
精神的に不安定な彼女は、そう思わないと自分を維持できないのかもしれません。

それ以降、私が[子供]の身を守るためにしようとするコーナーガードや赤ちゃんヘルメットに関しても批判的になりました。
(赤ちゃんヘルメットは、この事故の翌日に購入しました。[元奥さん]は自覚できないので、もう物理的に守るしかないと思い。)

3回目は2017年2月〇〇日11時頃
この日は旅行で北海道の札幌のホテルに泊まっていました。
[子供]は朝から元気で、ベッドから降りる遊びにハマったようで、転げ落ちないように私も手を触れない程度にあてながら、何回も繰り返していました。
それがすっごい慎重に降りるので、それがまたかわいく、安全のためにも横でずっとフォローしていました。
そしてチェックアウト間近だったので、荷物をまとめるのもあって私はベッドを少し離れました。
そして、チェックアウトの時間が迫っていたせいか、[元奥さん]は焦ってるというかイライラしてる様でしたが、[元奥さん]が[子供]のすぐ横で荷物を片付けてる時に[子供]がまたベッドから降りようしたら、何を思ったのかそれをはらってしまい、[子供]がほぼ後頭部からベッド下に叩きつけられてしまいました。

私は目を疑いましたが、彼女はハッとした様子で泣く[子供]を抱きかかえました。
そして[元奥さん]は『よく覚えてないけど、[子供]が落ちそうだったから手を出したら当たったような当たってないような』と言ってましたが。
慣れた自宅のベットならまだ分かるのですが、初めてのホテルで普段見ない高さのあるベッドなので、いつも以上に[子供]への目配りが必要だと思うのですが、自分のことでいっぱいいっぱいだったようです。
ただ、一度[子供]を連れ去られた後の仲直り旅行でもあって、(子供を払ったことなど)動揺してる彼女を追い詰めることになるようなことは言えなかったです。

また[子供]はひどい泣きようで、30分くらい泣き続けました。
ベッドの高さが40~50cmぐらいで、床はほぼコンクリートのままだったので、そこに後頭部から落ちて痛いのは当たり前ですが、動物が本能的に生命の危機を感じているのではと思えるぐらい大きく泣き続けました。
そのあと抱っこで眠った時も心配で目が離せませんでした。
あともう少し高かったらと考えたら怖くなります。

この3回に関しては事故と言うにはあまりにお粗末なものでした。
もちろん[元奥さん]は故意でやったわけでも悪気があってやったわけでもないと思います。
ただ彼女が精神的に落ちた状態の時にこういったことが起こってしまいます。
当たり前ですが生きてれば色んなことがあります。これから[元奥さん]も精神的に安定しなくなることは多々あります。
そうなると、弱い[子供]は常に危険と隣り合わせになってしまいます。
私は[元奥さんの実家の県]でやり直す時に、その彼女の不安定なところも踏まえて、男として[子供]ともども この2人をフォローしようという思いでしたが、私への当たりもきつくなるばかりで、私も体調を崩してしまい今に至ります。

彼女はこの3件の事故に関しても、『監護者指定調停申立書に関する意見書』にも書いた彼女のよく使う言葉を借りれば『そんなつもりない』のだと思います。もちろん最初から そうしようと思ってしてるわけじゃないのだと思います。
ただ彼女は負の状態になると『そんなつもりない』ことが起こってしまいます。

そんな[元奥さん]も心配ですが、なにより私は[子供]の身を心配しています。

もう一つは、[元奥さん]の家の環境です。
今現在、[元奥さん]とお母さん、そしておばあちゃんの三人の家に[子供]が加わって、女4代の状態です。

おばあちゃんに関しては、結婚前から[元奥さん]に『物忘れがドンドン酷くなってる』と聞いてましたが、実際にかなり物忘れが深刻な状態です。
私には痴呆症といえる状態かどうか分かりませんが、これから家族の負担が増えることはまちがいないです。
ときおり[元奥さん]が何度も同じことを聞くおばあちゃんに、イラッとした返事をするのも見かけます。
そんな時、私は『まぁまぁ。もっと優しくしよよ』とフォロー入れたりしてました。

そしてお母さん(〇〇〇〇)は先日乳がんの手術をしたときいています。
手術できたということは、大丈夫なんだと思いますが、それでもお母さんはもちろん周りの人にも精神的肉体的にも負担は増えてしまうと思います。

私は父をガンで亡くしたのですが、最初手術して大丈夫だろうという状態で普通に生活してましたが、それでも本人も周りも負担があることは経験しました。
父の場合は、結局そのあと転移が見つかって余命宣告され亡くなりましたが。

またお母さんは元々膝が悪いので、歩くのも少し辛そうです。
手術するかどうか言ってたと思います。

[元奥さん]の置かれてる環境は悪くなっても良くなる方向に行くのは難しいかと思います。
そんな中、[元奥さん]に負担がかかり、精神的不安定さが負の状態になった時の事を考えると[子供]への対応など心配でなりません。

 

『監護者指定の調停申し立て』をしてみて

今回、監護権や親権を取れると思って申し立てをしたわけではないですが、結果、調査官が監護の実態などの調査をしてくれました。

その調査の結果の中に、元奥さんは『現在カウンセリングに通わなくて良くなった』と。
監護には心身の健康状態が問われるから、治ったみたいです。。。

正直、都合のいい精神病やなと思いました。
精神病が都合のいい時は前面に出して、都合が悪くなると治ってしまう。。。

なぁ、実際0ではないと思いますが、彼女の場合は都合が良ければそれに全力で乗っかってしまうところがあったので。
1でも10として。
悪気も自覚も無いのでしょうが、私はそれに疲弊してました。

まぁ、彼女の場合都合のいい要素がある精神病なだけに、監護権が決まったら、またそのうち出してくるとは思っていましたが、案の定でした。
そのやり取りもまた後述します。